全体
感情や感性を象徴するスートです。
人生のすべての局面で、感情は物事を左右します。それは人間が人間である限り、避けられません。
エース すべてのはじまり
雲の中から差し出された手のひらに聖杯がのせられ、その聖杯からはつきることなく清らかな水が流れ出ています。
この水は、人が本来持っているべき、清らかな心、純粋な愛や優しさの象徴です。
白い鳩が聖杯に聖なる印をもたらし、聖杯から流れる水は地に池を作り、睡蓮の花を咲かせています。愛や優しさのもたらす恵みです。
始まったばかりの愛、生まれたばかりの命は、このようなものなのではないでしょうか。
2 一歩を踏み出す
杯を手にした男女が、お互いに歩み寄ろうとしています。
二人の間には絡み合う蛇と翼に象徴されるカドゥケウスが描かれ、このカードがコミュニケーションを表すものであると伝えてくれています。さらに、絡み合う蛇は男女の恋愛の象徴でもあります。
歩み寄ろうとしている…と書きましたが、女性は静かにたたずみ、そこへ男性が手を伸ばしながら一歩を踏み出したところです。
二人はまだそれほど親密ではないのでしょうか。
二人は出会い、ここからコミュニケーションを重ねて、愛を育んで行くのです。
3 広がりを求める
三人の女性が、杯を掲げて踊っています。
彼女らの足下には果実が積まれ、一人は武道の房らしきものを持っています。収穫祭の一場面でしょうか。
人が集まれば様々な感情が生まれます。
喜びや友情もその一つです。
皆で収穫を祝い、皆で祝えることを喜び、喜びの声が幸福を呼ぶのです。
生きる喜びを、豊かな感情を、仲間と分かち合いましょう。
4 小休止
生きていれば、立ち止まって考えなければならないときもあります。
ああでもないこうでもないと思い悩むのも、人間の性です。
彼は既に検討済みの3つのカップを前に、さらに差し出された一つのカップについて思い悩んでいます。
果たしてどのカップが、どの選択肢が正解なのか。
どれが正解なのかは、選んでみなければわからないのかもしれません。
あるいは、わかっていても選べないのかもしれません。
理性ではどれを選ぶか自明でも、気持ちが追いつかないこともあるのです。
5 変化の兆し
五つのカップのうち、三つが倒れ、中身が零れだしています。
空はどんよりと暗く曇り、カップの持ち主らしき人の悲しみに同調するかのようです。そうです、この人物は悲しんでいます。
カップは自然に倒れたのでしょうか? 何かのアクシデントでしょうか?
それとも誰かが倒したのでしょうか?
もしかすると、この悲しんでいる人物が自ら倒したのかもしれません。
理由がなんであれ、この人物は悲しんでいるのです。自分の後ろにある、まだ倒れていない二つのカップが目に入らないくらいには。
6 ひとまずの達成
小さな世界が自らのすべてだった幼い頃のことを覚えていますか?
シロツメクサの冠と宝石で飾られた宝冠の区別がなかった頃のことです。
その頃の私たちにとって、白い花の生けられたカップは、この世の果ての洞窟で手に入れた魔法の石のような宝物だったかもしれません。
その大切な宝物を、幼なじみの大切なあの子に捧げることができたとしたら、どんなに誇らしかったでしょうか。
その頃の気持ちを忘れなければ、私たちはもっと幸せに生きられるのかもしれません。
7 迷いが生じる
あなたの目の前に、希望と恐れ、欲望、願望、誘惑、様々な感情を揺さぶるものたちが現れています。
あなたは何を選ぶのでしょうか?
あなたが本当に選べるものはあるのでしょうか?
感情だけで物事を判断することは危険ですが、人の判断はほとんどの場合、感情によってなされます。
目を覚まして、よく考えてください。
あなたに必要なものはなんですか?
現実にあなたの目の前に存在しているものは、なんですか?
8 再び動き出す
赤いコートを羽織った人物が、これまで手に入れてきたカップをすべて置き去りにして、山へと歩き出すところです。
すべてを捨ててでも新たな場所へと旅立つ理由があるのでしょう。
向かおうとしているところはどこでしょうか?
なんのためにそこへ行こうとしているのでしょうか?
いずれにせよ、そこへ向かうためには8つのカップは邪魔なのです。
手放さざるを得ないのです。
旅人を月が見守っていますが、その表情は少しあきれているようにも、諦めているようにも見えます。
9 過去の蓄積
願いは叶う。
彼は古い8つのカップを捨てて旅立つことで、新たに9つのカップを手に入れました。
増えたカップは一つだけかと思うかもしれませんが、この9つのカップは、この世のすべての願いを叶える魔法のカップです。
彼の部屋は黄金に輝き、これ見よがしにカップを飾って、彼自身はその中央に自信満々の笑顔で座っています。
でも本当にそうでしょうか?
彼の座る椅子は粗末で、カップの台は装飾もない布で覆われ、まるで何か都合の悪いものを隠しているかのようです。
10 終着
そして彼らはいつまでも幸せに暮らしました。
それがおとぎ話のエンディングです。
それには虹が架かり、10個のカップが並んでいます。
虹を見上げる夫婦と子供たち。彼らの住まいであろう、赤い屋根の家。一つもかけるところのない、幸せの完成形です。
彼らはいつまでも幸せに暮らせるのでしょうか。
永遠はおとぎ話の中にしか存在しませんが、その時の気持ちを永遠にすることは、現実の私たちにもできるはずです。
ペイジ(若年者、未熟な人物)
派手な服を着て、おどけた様子の若者が、手に持ったカップに入れられた魚と対面しています。
彼の無邪気な残酷さは、知識や経験の不足から来るのでしょうか。
彼は自分の楽しみのことは考えますが、他のことにはあまり注意を払いません。これまで、その必要がなかったのです。
しかし人生は楽しいことばかりではありません。いつかは必ず厳しい局面を乗り越えなければならない日が来ます。
彼の後ろには、少しずつ波が迫ってきています。
ナイト(若い男性)
きらびやかな鎧を纏って白馬に乗った騎士が、カップを捧げ持ち、川を渡ろうとしています。
彼はまさに白馬に乗った王子様そのものの容貌をしています。
ところで、白馬に乗った王子とは実際のところ、何者なのでしょうか?
彼は美しく、誠実に愛を誓いますが、それ以外のことについて、私たちは彼の何を知っているのでしょうか。
心優しく、愛情深いかもしれませんが、実務能力は実はあまりないのかもしれません。
ですが、それがなんなのでしょう?
彼に実務能力は必要なのでしょうか?
私たちは、白馬に乗った王子様に、一対何を求めるのでしょうか。
クィーン(成熟した女性)
人魚の装飾が施された大仰な椅子に、豪華な衣装を身につけ、宝冠をかぶった女王が、手にしたデコラティブなカップをじっと見つめています。
とにかく、ごてごてとといいたいほど、装飾過多な印象です。カップのクィーンを取り巻くすべてが、過剰なまでに装飾されています。
カードに描かれているすべてのカップの中で、装飾が施されているのは彼女の持つこのカップだけです。エースのカードでさえ、記号が一文字刻まれ、小さく控えめな飾りがほんの少しついているだけです。
この過剰さは何を表しているのでしょうか?
彼女の持つカップにだけ蓋がされているのは、中に毒が入っているからだという説がありますが、それはどのような毒なのでしょうか?
キング(成熟した男性)
女王のものと比べると簡素だけれど座り心地の良さそうな椅子に、やはり豪奢ではあるけれど着心地の良さそうな服を纏った王が腰掛けています。ただし、王冠は豪華です。
彼の纏う服や座る玉座は心地よさそうではあるものの、周りは荒海に囲まれています。波間に浮かぶ玉座は危うげですが、王である彼の表情は落ち着いています。
ですが、彼の片足は今にも立ち上がろうと一歩を踏み出そうとし、腕は肘掛けから浮かせたところです。
彼はこれから立ち上がるところです。
背後に見える赤い帆は、彼の船でしょうか? それとも敵の船でしょうか?
いずれにせよ、彼は心を静めて問題に対処することができるのでしょう。